時代の変革期と言われる。未来にどんな希望を描くだろう。
少子高齢化、経済の停滞、混沌とした世界情勢、不正などモラルの欠如、環境問題・災害、戦争、分断・格差、パンデミック・・
どんよりとした不安が世界を覆っているようにも見える。
最近の情勢は、国単位ではなく、地球規模のスケールになってきている。グローバル化は切り離せないほど私たちと世界を強く結んでいる。
どこかの変化は、すぐにこちらに届く。地球規模的にそういう傾向が強くなっているようだ。
世界規模の経済的な変革や競争が、これまで以上に早く、直接的に誰かの仕事にもたらされる。あっち国の小さな変化が、大きな波となって私たちの生活に影響を与える。
ビジネスは競争と言われる。世界規模の競争も一緒に持ち込まれる。淘汰と進化。給料は人並み以上じゃないと。綺麗事は言ってられない。自分らしく働きたい。認められたい。ややこしい人間関係をクリアしたい。なにより生き残っていかなければならない。
夢や希望や意欲や熱意など語っている余裕はないようにも見える。
今後は能力主義的な競争が激化するだろう。それは見えざる勝者と敗者を生む。
AIの未来は明るいだろう。機械学習は継続され、人間の学習能力を超え成長し続ける。人間も仕事だと割り切って、不感症になって、機械のように働くのか。
競争なんて馬鹿らしくなってきた。静かに暮らしたいだけ。ややこしいことは避けよう。仕事なんてうまくやり過ごせばいい。ワークライフバランスの実現だ。レジャーに邁進しよう。スキルがこれまでよりも大切な時代だ。リスキリングなんて言い始めている。学び直しなんて言うらしい。そこそこやっていけば、少子化の時代・人手不足の時代だから将来も安泰だろう。
諦めるように仕事をする。この国の労働者の仕事への意欲は先進国でも最下位レベルらしい。
働いている人は仕事のモチベーションが無いらしい。
最低限の義務を果たす。仕事は契約だ。言われた以上のことをやれば問題ない。効率よく生きていければ問題ない。初任給も上がっている。これは一時のトレンドかもしれないが、嫌になれば転職すればいい。
しかし残念ながら、全ての企業は本質的には従業員に優しくはない。いや、優しくはなれない。企業も生き残りに必死だ。業績がいい時や若い社員には優しいが、ある程度の年齢や業績不振の時は冷たくならざるを得ない。
同じ能力なら、若い人と交代させたほうがいいと考えてしまう。さらに機械がやってくれるならもっといいだろう。コストをかけず利益を最大限伸ばすことが、ビジネスの基本原則だから。
新しい分野に関しては若者の方が有利だ。変化の大きい時代ならなおさらだ。なんらかの価値を生み出せないとAIにも負けてしまう。でも変化のスピードはますます増している。すぐに新しい世代に追い抜かれるかもしれない。ぬるい職場でも気をつけたほうが、常に会社はあなたに問いかけている。「今あなたは会社の利益のために何をしていますか」。企業に所属しているだけで給料が入るとこの本質を忘れがちになる。
会社勤めを基準に考えるからだめなんだ。自分らしく働きつつ、高額なリターンも狙える起業やフリーランスという選択肢もある。
国も支援しているし、くだらない人間関係に悩まなくてもいい。やりたくない仕事をしなくてもいい。この道を選んでいる人も増えているし、多くの企業もこの先どうなるのかはわからない。それなら早めに手を打っておくほうがいいだろう。
何かを得れば、何かを失う。自由であることは責任と能力を求める。稼げなければ、それは失業と同じだ。覚悟なき選択は、リスクを生む。「自分らしく働く」ためにはその裏付けとなるリソース(資源)がないと厳しい。社会保障を維持するために、国は今後70歳まで働くことを標準化すると言われる。70までの稼ぎを全て自分の力だけで補うことは並大抵のことではない。フリーランスは基本的に支えてくれる組織もない。企業は本質的には冷たいが、労働法もあるし、病気になってもそこそこ守ってくれる。出ることは簡単だが、つまずいた時に自分の都合に合わせて入ることは容易ではない。覚悟が必要だ。
どうやらどんな働き方を選ぶにしろ、簡単ではなさそうだ。ちやほやされるのも若いうちだけだ。どんな道でもかならず困難に直面する。少なくとも働くことに関してはあまり希望がなさそうだ。働いている人のモチベーションが低い理由も何となくわかる気がする。
道標が欲しい。どうするのがベストなのか。安全なのか。わからない。不透明な時代。
ここまでの内容を不快に思うか、そうでないかで、自分のこれは働くことや未来に対しての見方がわかる。それは能動的:アクティブか、受動的:パッシブかの傾向を示す。アクティブな人は自らが環境を変えると考える。パッシブな人は、環境に適合していくことを考える。どちらも一長一短がある。時代が安定している時はパッシブの人がうまく時流に乗れる。アクティブな人は成功もするが、弾かれる可能性があるからだ。もちろん不安定な時代でも弾かれるかもしれないが、元々それは織り込み済みのため、リスクは相対的に小さくなる。パッシブな人は、その不安定な変化の波に飲み込まれ、心理的負荷が非常に大きくなる。人間は世界を見る時、必ず自らのフィルターを通してみる。それは何かに囚われているということと言える。まずは自分を知ることが大事だ。
こんな厳しい修羅場の世界で不思議なことがある。
同じ仕事をしていても、意欲を持って、いきいきと働いている人がいる。
辛くて、大変だとみんなが考える仕事で、誇りを持って取り組んでいる人がいる。誰にも気づかれない、見えないところでも自らを修練してやりがいを持って仕事に取り組んでいる人がいる。この国でごくわずかと言われるモチベーションが高い人たちだ。滅多にお目にかかれないのか?
そういう人に共通しているのは、プロとしての高い意識と誇り。高いスキルは時に人を感動させる。その裏に弛まない努力と継続を続ける意思が見えるからだ。仕事の内容ではない。その取り組む姿勢ー生き方ーがまさにプロフェッショナルなのだ。独立している、雇われていることは関係ない。そしてハンディキャップも関係ない。むしろハンディキャップがある人の方が、そういう要素を持っている気さえする。
そして人に与える感動はスキルだけでは生まれない。
見えてくるのは外の世界への感謝と達成することの喜び。
世界を少しでもよくするための試み。
勝ち負けや生き残ることばかりを考えると過信と奢り、あるいは屈辱と無力感を生み、勝者と敗者に分けられる。何のために勝つのか、生き残るため。勝たなくては生き残れないのか。
何がそれを分けるのか。世界を見る目は、自らのバイアスに依存している。
もっと希望のない世界で、希望を生み出している人がいる。
規模の違いはあるが、それは誰でも可能だ。行動できなくてもそう考えることはできる。そう考えることができれば、小さな行動の一歩が自分を導いてくれる。全てはそう思うことと選択なのだ。
バイアスひとつで全てが変わる。自分中心に見るか。世界中心に見るか。できることを見るのか。できないことを見るのか。崩壊する未来を見るか。希望のある未来を見るか。不幸な自分を見るのか。幸運な自分を見るのか。
そして選択した行動の連続が自分を創る。何かするのか何もしないのか。あきらめるのかあきらめないのか。逃げるのか逃げないのか。全力を尽くすのか、手を抜くのか。その結果が自分を創る。死ぬまで創り続ける。
そしてコントロール不能なことは無視して、選択できる機会を与えてくれる社会とその礎を築いてくれた先人と自分を今、支えてくれる人に感謝を忘れなければ、その選択は正解に限りなく近くなるかもしれない。
競争よりも共走と共創を。
そうやって必死に走り続け、実現する。誰かのために、世界のために役立つことをする。そんな人や企業に会えば何が希望かわかる。もしいなくても自分自身が希望となることもある。
夢想家だ。
しかし、このような理想を実現あるいは実現へ努力している会社がたくさんある。規模や知名度、待遇にとらわれずそのような会社の研究もするといい。
そして偉大な先人たちがいる。
誰もが幸せになるために、幸せに働くことができることを、理想を人生をかけて追求した人たちがいる。そのなんらかの恩恵を受け、私たちが生きている。トレンドやブランドもいいが、どれほどの名も無き魂が、この世界を前に進めてきたのだろう。
さらに幸運なことに、この国に希望を生み出す会社もたくさんある。
そのような会社はブランドも、条件も最高ではないこともある。しかし本質がある。何かにとらわれずに働ける
私たちもそんな会社になりたい。
こんな混沌とした時代でも希望を生み出している人がたくさんいる。
気づいていないだけですぐそばにいる。
そして誰でもそのような人になることができる。少しの考え方と選択の違いで。