なぜ転職を考えたのですか?
これは経験者採用の面接においてほぼ100%聞かれる言葉です。
転職の理由は人様々ですが、大多数の人はこの解答にもやもやしたものを抱えています。なぜなら転職の意思決定に至る過程には、非自発的、自発的に関わらず、原因がなんであれ、大なり小なりネガティブな要素を内包していると感じるからです。
雇用側が聞きたいこの質問の本質は、ケースにもよりますがは、転職が自発的なものであれば「なぜ一応の安定を捨てて、転職活動をしなければならないのか」、非自発的なものであれば、「なぜ失業したのか、そしてその要因はあなたが自身、外部環境どちらにあるのか」ということです。
ケースにより差はありますが、転職は消耗戦です。人間関係を新たに構築する努力、異なる社風に馴染む努力をし、仕事を覚える。暗黙のものも含めルールを覚える。諸々の事務手続きを行う。転職自体が失敗するリスクもあります。会社に失敗と思われる可能性もあるります。失業へのリスクもあります。自分が持っているスキルは助けてくれるか。自分の考え方と合うのか。感じた印象は間違っていないか。そもそも今の会社以外で通用するのかどうかなど・・。転職が当たり前と言われる時代になっても、転職は不安が付きまといます。昨今はその辺りのサポートを行う企業も増えていますが、ネガティブな転職の場合は多かれ少なかれ心配はあります。
だから誰もが自信を持ってポジティブに転職に挑みたい。転職がどれだけ一般化しても、それは人生の分岐点となる可能性が高いでしょう。そして雇用側もポジティブさを求めています。単純な仕事がAIに移る時代、人間には創造性が求められる。その前提となるのが仕事に対する意欲でしょう。
転職が常識である欧米を中心とした世界の多くの国ではこの質問はあまり重視されません。最も重要なことは、「あなたはどのような利益を会社にもたらしてくれるのですか」というこということです。国内でもこの点は重視されるが、比較的自由な解雇が社会的に許容されている社会と許容されていない社会では少し意味が異なります。そのような社会では、過去のプロセスはそれほど決定的ではありません。必要なければ辞めてもらう。逆に解雇が難しければ、それまでの人生のプロセスを見て、本当に貢献してくれるのか見極める必要があります。だから転職へのプロセスも当然重視されます。
国内でも固定的な雇用から流動的な雇用へシフトが始まっています。企業の一員としての人材の採用から、仕事に合わせた採用です。どちらにもメリット・デメリットはありますが、後者は個人の自由度が高まりますが、自己責任も求められる傾向があります。仕事がなくなれば、基本的に契約満了です。終身雇用の崩壊があらためて伝えられ、新卒一括採用にも変化が生じています。
ポテンシャルよりも、その段階での能力が重視され始めてきています。
日本的家族主義経営は厳しくも優しかった一面があります。利益をすぐに生み出すことではなく、長期的な貢献の原資となってくれればよかったからです。それは人への投資でした。しかし、これは企業が成長し続けることができれば機能します。バブル崩壊後、家族は良い家族と悪い家族が生まれました。世界標準のジョブ型雇用は、仕事への投資です。仕事自体がなくなればその先は基本的にはありません。新たな道を見つけるのも途方に暮れるのもその人次第という冷徹な理論があります。
生き残るために。どちらにせよしっかりと将来を見据え、キャリアを考え、戦略を持って働くことが求められています。会社がなくなれば、自分しか残らないのです。
能力を高め、自分はこの厳しい労働市場を生き残ってみせると多くの人はスキル向上に努めます。そのためにはスキルを磨き続けなければいけません。リスキリングして、今より条件のいい会社に移れます。
その一方働き盛りのメンタルヘルスの不調が増加しています。
仕事に意味を感じることができず、日々勝ち負けや優劣、生き残りに囚われすぎることは、簡単に精神を破壊します。その先に何があるのでしょうか。本当に自分自身は幸せだろうかと問い続けることもあります。
残念ながら、ある年齢をピークに、そのスキルと経験に応じて転職市場における人材価値は減少していきます。時代は変化してもこれだけは世界的に変わらないようです。現状に安穏とすることすら危険です。リタイヤまで飽くなき競争を勝ち抜かねばなりません。
やりたいことを仕事に。自分らしい働き方。残念ながらこれはほんの一握りの人たちのためのものであることも世界的にあまり変わりません。大多数の人はやりたくないことを仕事として、人に使われる働き方をせざるを得ません。
安定を維持するための成果を生み出す競争の中にさらされながらも、やりたくない仕事に励まなければならない事もあります。しかし本来はこれが働くということで、生きるということです。そんな誰かの命を削る働きのおかげで、あなたもわたしも育ててもらい、生きることができています。仕事に意味がなくても、生きる意味があればやっていけます。
同じ仕事をしていても、もっと大変な仕事をしていても意欲を持っていきいきと働いている人もいることも事実です。逆に、側から見たら恵まれている、成功しているように見える人でも幸せを感じられていない人もいます。この差は一体どこから生まれるのでしょうか。
共通しているのは、無意識でも、自分のやっていることが間違いではないと心の底から思えていることがあります。
重要なのは思い込ませているのではなく、心の底から納得していることです。仕事について、人からどう見られているとかステータスとか、条件とか安定とかそのあたりは本来セカンダリなものです。プライマリなものは、別にあります。そしてそれは見えないことが多く、人それぞれです。正解はありません。プライマリがないとセカンダリをプライマリとしてしまうことが多いのです。それらは変動的な要素なので、その変化に右往左往させられます。勝っているときはいいが勝ち続けるのは不可能なので、試練に対する脆弱性が高い傾向があります。そしてそれらを失った時、敗北感を感じやすい傾向があります。
プライマリのベースとなるものは人それぞれですが、共同体意識を感じ、誰かの役に立っていると感じられることを目的としている場合が多いようです。そしてこのプライマリを自ら作る人は起業する傾向が高く、自分のプライマリがない人は、誰かのプライマリに共感しているケースがく見受けられます。簡単に言えば、そのようなことをしている会社に入ることや、そのプライマリを持つ人と働くことが有効です。
そして今の時代は、これまでと同じではいられません。環境破壊はしっぺ返しとなり、わたしたちを襲います。自分だけがよければいいという考えは、自らを滅ぼすことにつながっています。逆に環境を良くするために働くことは、みんなの幸福につながります。例えば、そう本気で思って働くことができれば、それは自分にとってプライマリなものとなります。
明日をもしれぬ世界、その力を少しでも広く世界にに役立てられないだろうか。
自分は本当はどんな生き方をしたいのだろうか
転職理由を考える前にその問いに答えが出せれば、おそらく前述の質問には胸をはって答えることができるかもしれません。
そしてその本当の答えを実現できる会社を探し、選ぶことが重要です。トレンドは当てになりません。答えを出せれば、プライマリがない会社やセカンダリなもので釣ろうとしている会社に引っかかることも無くなるかもしれません。自分で動くしかないのです。
自分の心に正直に。腹の底から納得するために。人生の終わりに腹の底から納得できるかどうか。簡単なことではありません。わたしたちも同じです。しかしそれを追い続け、挑戦し続けること自体に人生の本当の価値があると思っています。
何かにとらわれることで、自分を制限しているのは自分自身であることが多いことが知られています。転職を考えた今、何かを発見するかもしれません。そこから自分次第です。私たちと一緒に走りたいと思ってもらえたならば、望外の喜びです。